東武侯

武帝少時、東武侯母常養帝、帝壮時、號之曰「大乳母」。率一月再朝。朝奏入、有詔使幸臣馬游卿以帛五十匹賜乳母、又奉飲糒飧養乳母。乳母上書曰「某所有公田、願得假倩之。」帝曰「乳母欲得之乎?」以賜乳母。乳母所言、未嘗不聽。有詔得令乳母乗車行馳道中。當此之時、公卿大臣皆敬重乳母。
(『史記』巻百二十六、滑稽列伝、褚先生補、郭舎人)


漢の武帝の乳母、東武侯の母は武帝に大変重んじられた。
公田を下賜されたとか、皇帝の専用道路を使う事を許されたとか、相当な特別待遇であったことが窺える。



ところでこの「東武侯」についてだが、『史記』高祖功臣侯者年表によれば「東武侯郭蒙」という者がいるが、彼の血統は郭蒙の子の郭他が呂后六年に継いで景帝六年に処刑されて途絶えたとされている。


史記正義』などは「東武侯の母」が郭他の母だと考えているようだが、郭他の母ではどう若く考えても文帝の年代になってしまい、武帝即位後も健在であるというのは少々難しいように思う。



結論は出せない話ではあるが、郭他の妻あたりのことを言っているのか、史書に記されていない別の「東武侯」がいたのか、それとも「東武侯」というのが誤りなのか。