県の名前

行東、將幸緱氏、至左邑桐郷、聞南越破、以為聞喜縣。春、至汲新中郷、得呂嘉首、以為獲嘉縣。
(『漢書』巻六、武帝紀、元鼎六年)


漢の武帝は河東、河内を行幸中に南越撃破の報に接した場所を「喜ばしい報告を聞いた地」聞喜県と名付け、南越の反乱者呂嘉の首を取ったとの報に接した場所を獲嘉県と名付けたという。



聞喜などは『三国志』でもしばしば出てくる地名ではなかったかと思うが、意外な命名秘話があった。