興味ある人はいないと思うが自分用メモ。
右并州刺史部、郡九、縣・邑・侯國九十八。
【注】
古今注曰「建武十一年十月、西河・上郡屬」
(『続漢書』志第二十三、郡国志五、并州)
劉昭注にある「西河・上郡」がどこからどこに「属」したのかというと、どうやら朔方刺史部から并州刺史部に属した、という意味らしい。
ということは前漢にあった謎の刺史「朔方刺史」は西河郡・上郡を所管していたのだろう。
『漢書』地理志下では西河郡・上郡とも「属并州」という自注が付けられているのだが、これはもしかすると班固らのリアルタイムでの情報つまり朔方刺史廃止後の情報なのかもしれない。