劇的ビフォーアフター

魏略曰、是歳、徙長安諸鐘簴・駱駝・銅人・承露盤。盤折、銅人重不可致、留于霸城。大發銅鑄作銅人二、號曰翁仲、列坐于司馬門外。又鑄黄龍・鳳皇各一、龍高四丈、鳳高三丈餘、置内殿前。起土山于芳林園西北陬、使公卿羣僚皆負土成山、樹松竹雜木善草於其上、捕山禽雜獸置其中。

(中略)

魏略載司徒軍議掾河東董尋上書諫曰・・・
(『三国志』巻三、明帝紀注引『魏略』)


今日の匠は実家は四世三公の名家の皇帝、曹叡


洛陽のリフォームを思い立った彼は、長安からオブジェの数々を移設することを考えた。



なんということでしょう。長安にあった巨大銅像は、重さのあまり洛陽まで運ぶことが出来ません。



そこで匠は長安からの移設を諦め、自分で鋳造することにしてその銅像に「翁仲」と名付けました。


更に匠は洛陽に自分の庭園を造ろうと考え、大臣たちに土を運ばせて造園作業を行い、近くから捕まえてきた動物たちを放ったのでした。




ところでそれを諌めた「河東董尋」って董卓たちと同族なんですかね。


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*1:https://twitter.com/my_birthday0128/status/219821009518333953こ、こんなツイートがあったからこんな記事にしたわけじゃないんだからね!