四月甲申、詔曰「孫晧窮迫歸降、前詔待之以不死、今晧垂至、意猶愍之、其賜號為歸命侯。進給衣服車乘、田三十頃、歲給穀五千斛、錢五十萬、絹五百匹、緜五百斤。」
(『三国志』巻四十八、孫晧伝)
呉の孫晧は晋へ降伏すると「帰命侯」という称号を賜ったという。
ここで使われている「賜号」という語は、どうやら「封邑を持たない称号だけを与える」ことを指すようだ。
恭賜號靈壽王、未有國邑。
(『東観漢記』彭城靖王恭伝)
昔このブログでも取り上げた「霊寿王」という封邑を持たない称号を与える時にも「賜号」という語が使われていることが確認できる。
孫晧の帰命侯とは封邑を持たないいわゆる「名号侯」であったようだ。
丁亥、封劉禪為安樂公。
(『三国志』巻四、陳留王紀)
ちなみに劉禅は安楽公に「封」じられたと言われているので、こちらは実際に封邑があったと思われる。