狐篤の出戻り

(馬)盛衡名勳、承伯名齊、皆巴西閬中人也。勳、劉璋時為州書佐、先主定蜀、辟為左將軍屬、後轉州別駕從事、卒。齊為太守張飛功曹。飛貢之先主、為尚書郎。建興中、從事丞相掾、遷廣漢太守、復為中參軍。亮卒、為尚書。勳・齊皆以才幹自顯見、歸信於州黨、不如姚伷。
(『三国志』巻四十五、楊戯伝引『季漢輔臣賛』)

馬忠字徳信、巴西閬中人也。少養外家、姓狐、名篤、後乃復姓、改名忠。
(『三国志』巻四十三、馬忠伝)


蜀の馬忠って上の馬勲・馬斉と同郷だ。



思うに、馬忠が出世したのは彼らの引き立てという面もあったのではなかろうか。



馬忠は当初は狐篤と名乗って母方の家を継いでいたそうだが、それを馬姓に戻したというのは馬勲・馬斉という(おそらく)巴西閬中の馬氏の棟梁格が死んだために彼らに代わる棟梁を残された馬氏が必要とし、そこで狐篤が引っ張り出された、という感じだったのではなかろうか。

根拠はないが。