(田)豫清儉約素、賞賜皆散之將士。毎胡・狄私遺、悉簿藏官、不入家、家常貧匱。雖殊類、咸高豫節。
(『三国志』巻二十六、田予伝)
つまり匈奴その他北方異民族に対し大きな力を持つ存在だったわけであり、匈奴ら異民族もこぞって彼に贈り物をしていた。
しかし田予はその贈り物を自分の家のものとはせず、官の財物として記録して倉庫に収めた。
部下に賞与や恩賜を配っていたこともあって田予の家はいつも貧しかったのだという。
この話からは、「取引先」匈奴等からの贈り物(賄賂)を拒否した田予が珍しい部類であり、他の者は殆どが贈り物を懐にしていたと思われることが分かる。
この時代の賄賂は、楊震の有名な話や、人事等に影響させようとしたことが発覚した場合に厳しく取り締まるなどから分かるように、全く罪悪感も処罰も無く存在していたわけではないが、現実にはそれについて己を厳しく律していた者の方が珍しかったということだ。
三国時代の色々な有名人たちも、ほぼ十中八九はこの手の賄賂を貰ったり贈ったりしていたのだろうが、そういう時代なのである。