章陵

後漢の時代、「章陵」という地名があった。

元は県であったが後漢末には郡に昇格しており、章陵太守が任命されているのが確認できる(黄射、蒯越、趙儼)。


六年春正月丙辰、改舂陵郷為章陵縣。世世復傜役、比豐・沛、無有所豫。
(『後漢書』本紀第一下、光武帝紀下)


章陵とはどんな場所であったかというと、上記のとおり元々は光武帝劉秀らの故地である舂陵郷であり、光武帝によって徭役免除を与えられて県に昇格したという土地であった。


後漢末に郡に昇格している裏には、当時郡が細分化する傾向にあったというだけではなく、光武帝故地で徭役免除されていたという事情から大きな県となっていたという理由があったのかもしれない。