復讐鬼の生涯その2

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20120124/1327331918の続き。


曹操劉備によって人生を狂わされて屯田民にされた訒艾

為都尉學士、以口吃、不得作幹佐、為稻田守叢草吏。同郡吏父憐其家貧、資給甚厚、艾初不稱謝。毎見高山大澤、輒規度指畫軍營處所、時人多笑焉。後為典農綱紀、上計吏、因使見太尉司馬宣王。宣王奇之,辟之為掾、遷尚書郎。
(『三国志』巻二十八、訒艾伝)


訒艾屯田の吏の中で優れた成績を収めて上計吏となり、太尉司馬懿の目に留まりそこから出世していった。


尚書郎といえば官位は高くは無い駆け出しとはいえ顕官である。

屯田の吏から見れば大出世であろう。とんでもない大抜擢と言っていいんじゃないだろうか。



そして、もしかするとこの出世は裏で訒艾の秘めたる復讐心が影響していたかもしれない。




以前の記事(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20120123/1327244820)で書いたことだが、吉本の乱で官位を失った郭玄信は屯田の吏であった訒艾と石苞を高く評価した、という話がある。以下、再録する。

世語曰、訒艾少為襄城典農部民、與石苞皆年十二三。謁者陽翟郭玄信、武帝監軍郭誕元奕之子。建安中、少府吉本起兵許都、玄信坐被刑在家、從典農司馬求人御、以艾・苞與御、行十餘里、與語、悦之、謂二人皆當遠至為佐相。艾後為典農功曹、奉使詣宣王、由此見知、遂被拔擢。
(『三国志』巻二十八、訒艾伝注引『世語』)


曹操への反逆で官位を失った郭玄信と、曹操によって酷い目に遭っている訒艾
郭玄信が訒艾らを高く評価したのは、彼らの実力もさることながら、訒艾の目の奥に自分と同じものが宿っているのが見えたからではないだろうか。

つまり、曹操への怒り、恨みの炎である。

曹操に滅ぼされた袁紹ゆかりの地勃海出身の石苞だって、同じものを宿していたかもしれない)


もしかしたら、郭玄信、訒艾、石苞が身分や年齢の壁を超えて妙に話が合ったのは、「曹操ってむかつくよねー」などといったトークが盛り上がったからではないか。



訒艾は「曹操ホントはむかつく派閥」の有望な若手として認識されたのだ、きっと。

そうだとしたら、司馬懿に目を付けられたのも単なる偶然じゃないんだろう。


なにしろ司馬懿といえば曹操に強引に出仕させられ、その嫡子曹丕には恩人である楊俊を殺されている

つまり「曹操ホントはむかつく派閥」の大物の一人なのである。


同じ派閥であろう鍾繇(魏諷の乱の時に責任取らされた人)は郭玄信と同郡。
郭玄信からの情報が鍾繇陳羣などを通じて司馬懿に渡っていたということなんじゃなかろうか。



まあ要するに、曹操憎しの気持ちを忘れていなかった訒艾は、似た思いを持つ人々によって抜擢されたんじゃないか、ということである。



要職に就くようになった訒艾。彼の復讐がいよいよ始まる。
次回へ続く。