馬並み

光和元年、司徒長史馮巡馬生胡子、問養馬胡蒼頭、乃姦此馬以生子。
(応劭『風俗通』佚文)

『続漢書』五行志にもこの事は載っている。ちなみにこの馮巡は黄巾の乱の時に甘陵相になっていて敗死したそうな。




後漢末期、司徒長史の馮巡の馬が異民族(胡)の子供を産んだ。

馬を世話していた胡の奴隷を取り調べたところ、その奴隷がその馬とドッキングしたためにその子供が産まれたということだった。



当時の馬は人間の子供を産むことがあったということである*1


*1:胡は人と馬の中間だからこんなことも起こる、なんていう差別意識のようなものがこんな話を生み出したのかもしれないし、胡に限っていないのかもしれない。