鼻高々

衛太子嶽鼻、太子來省疾、至甘泉宮。江充告太子勿入、陛下有詔、惡太子嶽鼻、當以紙蔽其鼻。充語武帝曰、太子不欲聞天子膿臭、故蔽鼻。武帝怒太子、太子走還。
(唐『三輔旧事』)


武帝の太子である衛太子は鼻が高かった。
衛太子が病気になった父武帝の見舞いに来た際、衛太子と仲が悪かった武帝の寵臣江充は「陛下が太子に鼻を隠すようにと命じました」と言って太子に紙で鼻を蔽わせた。

しかしこれは江充の策であって武帝はあずかり知らぬことであった。
江充は武帝にはこう言った。「太子は陛下の膿の臭いがいやで鼻を蔽っているのです」と。

かくして武帝は太子を怒ったのであった。



蔡倫以前でありながら「紙」という語が出てくるが、だからと言ってこれを単なる後世の質の悪いでっちあげだと断ずるのは早いだろう。

自古書契多編以竹簡、其用縑帛者謂之為紙。縑貴而簡重、並不便於人。
(『後漢書』列伝六十八、蔡倫伝)

とあるように、蔡倫の紙以前は絹を使った書を「紙」と呼んでいたのであるから、ここでの「紙」もそういう意味と思うべきだと思う。