士孫瑞のおじ

平陵士孫奮、貲至一億七十*1萬、富聞京師而性儉木恡。從子瑞、辟梁冀掾、奮送絹五匹、食以乾魚。(『三輔決録』)

後漢の人、平陵の士孫奮は富豪だったが吝嗇家でも有名だった。


甥の士孫瑞が権力者梁冀の掾に招かれた際、彼はその甥のために絹五匹を贈り、はなむけの宴で魚の干物しか食わせなかった。つまりそれくらいケチだったということなのだろう。

もっとも、梁冀に仕えようとするのが気に入らなくてわざとそういう扱いにした、という可能性もあるかもしれないが。
ちなみに士孫奮は最後は梁冀に罪を被せられて死んでいる。



この士孫奮の甥の士孫瑞は王允一味の士孫瑞と同一人物の可能性が高いだろう。
彼のおじは富豪(だった)。それと士孫瑞は梁冀の門下に招かれたことがあった。
この2点は注目に値する・・・かもしれない。

*1:「十」は「千」の誤りか。