『史記』三王世家その4

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20110710/1310223709の続き。

「丞相臣青翟・太僕臣賀行御史大夫事・太常臣充・太子少傅臣安行宗正事昧死言、臣青翟等前奏大司馬臣去病上疏言、皇子未有號位、臣謹與御史大夫臣湯・中二千石・二千石・諫大夫・博士臣慶等昧死請立皇子臣閎等為諸侯王。陛下讓文武、躬自切、及皇子未教。羣臣之議、儒者稱其術、或誖其心。陛下固辭弗許、家皇子為列侯。
臣青翟等竊與列侯臣壽成等二十七人議皆曰、以為尊卑失序。高皇帝建天下、為漢太祖、王子孫、廣支輔。先帝法則弗改、所以宣至尊也。
臣請令史官擇吉日、具禮儀上、御史奏輿地圖、他皆如前故事。」
制曰「可。」


さて、ついに武帝が丞相たちの「息子さんを諸侯王に」攻勢にキレて上奏文に返事しないという行動に出た(ことになっている)。


そこで、丞相らはまた上奏して再度同じことを願い出るのであった。


「この件について、なんか陛下が何度言ってもウンと言わないから、列侯の蕭寿成とかとまた相談してみましたよ。
そしたらみんな『やっぱ諸侯王だよねー』って言うから、もう諸侯王に封建する手続き進めさせてくださいよ」


そうしたら武帝は「いいよ」と回答。

かくして武帝の皇子たちは諸侯王となることが決まったのであった。



「なんだ、最後はやけにアッサリじゃないか。結局は諸侯王にしたいだけだったんだろ。なにダダこねてんだよ、さっさと決めろよ」とか言ってはいけない。たぶん。

武帝はこの一連の手続きによって「皇子に土地を与えたがらない謙虚さ」をアピールすることができ、丞相らは「皇帝を動かして裁可にこぎつけた」という得点を稼いだ。
いわばWIN−WINの関係なのである。


こういう世界には無駄とも思えるようなセレモニーも時には必要ということだろう。たぶんね。