http://d.hatena.ne.jp/T_S/20110516/1305474535の続きというか補足というか。
曹丕が魏王曹操の太子に決まってから、曹植は曹仁救出のため派遣されることになった。
これは曹丕にとって全くもってアウト・オブ・眼中の人事ではなかった。
仮に曹植が凱旋帰国することになったら、後継者問題的に曹丕大ピンチである。
少なくとも、注の『魏氏春秋』にある曹丕が曹植を酔わせたという話は、そういう前提があるから出てくるはずである。
太子になってからも、曹丕は曹植を妨害し続けなければならなかったのだ。
それはつまり、曹操の後継者問題は曹丕を太子に立てても全然終息していないということである。
曹植本人はともかく、周囲はまるで納得していなかったのだろう。
曹彰が曹操死後に曹植に対し「親父はお前を立てようとしてたんだぜ」って言ったりしたのがその証拠だ。少なくとも彼は納得していなかったのだ。
曹操は後継者問題を上手く着地させたという感じに評価されがちだが、実は袁紹のようにならなかったのは幸運だっただけで、思いのほか危険な状態のまま死んだんではないかと思う。