孝廉の配属先

「五官中郎将」についても教えれ、っていう方がいらっしゃったので。

元興元年春正月戊午、引三署郎召見禁中、選除七十五人、補謁者・長・相。
【注】
漢官儀「三署謂五官署也、左・右署也、各置中郎將以司之。郡國舉孝廉以補三署郎、年五十以上屬五官、其次分在左・右署。凡有中郎・議郎・侍郎・郎中四等、無員。」禁中者、門戸有禁、非侍御者不得入、故謂禁中。
(『後漢書』本紀巻四、和帝紀、元興元年)

『漢官儀』によれば、郡国が推挙した孝廉を五官・左・右の三つの郎の部署(三署)に配属した。

年齢五十以上の者を五官に、それ以外を左・右の部署に配属したという。



つまり、五官中郎将の下に配属されるのは年齢五十歳以上の郎ということになる。

年齢が上の集団であるから中郎将筆頭になっていたのかもしれない。


ベテラン、経験豊富と言えば聞こえがいいが、五十歳以上になって初めて孝廉に推挙されたということであり、たぶん本来の郎の職務である兵士としての軍務はあてにされていない、セミリタイア組のたまり場とも言えそうだ。

郎はなかなか奥が深い。かもしれない。