487,572人

(元始)五年正月、祫祭明堂、諸侯王二十八人、列侯百二十人、宗室子九百餘人、徴助祭。禮畢、封孝宣曾孫信等三十六人為列侯、餘皆益戶賜爵、金帛之賞各有數。
是時、吏民以莽不受新野田而上書者前後四十八萬七千五百七十二人、及諸侯王・公・列侯・宗室見者皆叩頭言、宜亟加賞於安漢公。
(『漢書』巻九十九上、王莽伝上)

王莽の時代、領土の加増を辞退する王莽に対し、「48万7572人」もの人間が王莽への加増を行うべきことを上書したという。



王莽一派による小細工や捏造も含まれていた可能性も高いが、思うにこういった王莽称揚を行った者がこれまで恩賞や昇進などの恩典に預かった事実があったのではなかろうか。
つまり、自分もこのチャンスに乗り遅れまいという人々の欲求がこのバカげた人数を生んだのではないかと思う。