江夏太守

常以部曲事為江夏太守蔡遺所白、(呂)蒙無恨意。及豫章太守顧邵卒、(孫)權問所用、蒙因薦遺奉職佳吏、權笑曰「君欲為祁奚耶?」於是用之。
(『三国志』巻五十四、呂蒙伝)


呉の呂蒙はかつて江夏太守の蔡遺という者に弾劾されたことがあった。
しかしその後豫章太守顧邵が死去し孫権が後任を探していたところ、呂蒙は自分を弾劾した蔡遺を推薦したという。



江夏太守、豫章太守は当時の呉で考えればなかなかの要職だったと考えられ、これを歴任したことになる蔡遺は当時の呉の中で中々高い地位を占めていたように考えられる。
いったい何者だろうか。