房陵県

群臣奏言「古者廢放之人屏於遠方、不及以政、請徙王賀漢中房陵縣」太后詔歸賀昌邑、賜湯沐邑二千戸。
(『漢書』霍光伝)


一度は皇帝になったがすぐに廃位された前漢の昌邑王劉賀。
彼は皇帝を廃されると、「房陵県に配流すべし」と言われていた。
これは皇太后が取り上げなかったが、当時罪があって廃位された諸侯王は漢中郡の房陵県に配流されるのが常であった。

濟川王明、以垣邑侯立。七年、坐射殺其中尉、有司請誅、武帝弗忍、廢為庶人、徙房陵、國除。
(『漢書文三王伝)

例えばこの済川王劉明のように、罪があって廃位された諸侯王は、しばしば房陵へ配流されている。
他にも数例るので、もしかすると房陵県は劉氏人口過密地域だったのかもしれない。