曹丕の従軍

魏略曰・・・(略)・・・二十一年、太祖東征、武宣皇后・文帝及明帝・東郷公主皆從、時后以病留鄴。二十二年九月、大軍還、武宣皇后左右侍御見后顏色豐盈、怪問之曰「后與二子別久、下流之情、不可為念、而后顏色更盛、何也?」后笑答之曰「叡等自隨夫人、我當何憂!」后之賢明以禮自持如此。
(『三国志』文昭甄皇后伝注引『魏略』)

魏の明帝曹叡の母の甄氏。彼女は曹操の正妻である武宣皇后卞氏に徹底的に尽くした。
まあぶっちゃけおべっかの類と言っても過言ではないだろう。色々と危うい地位にいる自分と我が子を守ろうと必死だったのだろうと思う。


ところで、上の『魏略』によれば、建安二十一年の東征、つまり孫権討伐には卞氏曹丕が同行していたという。

卞氏はともかく、曹丕はこれまでむしろ曹操の留守を守ることが多かったのだが、この時曹操に同行したのはなぜだろう。


この東征から戻ってきた建安二十二年十月、曹丕が魏の太子に立てられている。
曹丕の従軍は各地への曹丕の「顔見せ」だったのだろうか。

逆に、太子を立てる直前といえば曹丕曹植の後継争いが激化していた頃なので、一時曹丕の形勢が悪くなっていて留守番役を解かれて曹操のそばに置かれたという解釈もできないこともない。
有名な賈詡と曹操とのやりとりまでは曹操自身かなり悩んでいたようなので、曹丕は「父の留守を守る」という嫡子の役割を取り上げられていたのかもしれない。


結局どっちなのかは今の自分には判断できないというのが正直なところ。