王莽の母

太后憐弟曼蚤死、獨不封、曼寡婦供養東宮、子莽幼孤不及等比、常以為語。平阿侯譚・成都侯商及在位多稱莽者。久之、上復下詔追封曼為新都哀侯、而子莽嗣爵為新都侯。
(『漢書』元后伝)

王莽の母を「渠」と言ったらしい。
姓なのか名なのか微妙なところで判別しがたいが、名のような感じがする。

(金)當母南即莽母功顯君同產弟也。
(『漢書』金安上伝)

ちなみに、王莽の母の妹は金日磾の曾孫の金当の母であった。
外戚王氏と前漢の貴顕の家である金氏、それぞれの妻を輩出した家なのだから、それなりの家だったのではないかとも思えるのだが、姓などの詳細は分からない。