李さん一家

武昭王諱翬、字玄盛、小字長生、隴西成紀人、姓李氏、漢前將軍廣之十六世孫也。廣曾祖仲翔、漢初為將軍、討叛羌于素昌、素昌即狄道也、衆寡不敵、死之。仲翔子伯考奔喪、因葬于狄道之東川、遂家焉。世為西州右姓。
(『晋書』涼武昭王李玄盛伝)

晋代の混乱期に敦煌で自立した涼武昭王李翬は隴西成紀の李氏、つまり李広の子孫(を称した)。

そしてその系譜によれば、李広の曽祖父李仲翔なる人物が漢初に将軍となって隴西の狄道で戦死、その子李伯考は父を狄道に葬り、そのままそのあたりに居を構えたという。
ということはそれ以前の隴西成紀の李氏は隴西成紀の人ではない。


あと、李広といえば先祖が秦統一期の将軍李信であることは有名だが、秦の統一が紀元前221年、李広の最初のキャリアが紀元前166年(文帝前14年)でその間は55年。

漢初の将軍とされる李仲翔と李広の間にも二世代入ることを考えると、李仲翔は漢初の時点でそれなりの年齢だったのだろう。
そうすると、李仲翔は李信の子であったと考えるのが妥当なところではないだろうか。


この系譜自体、時代背景などを考えると後付けの信憑性に欠けるシロモノである可能性が大いにあるが、李信と李広の間を繋ぐ内容だったので取り上げてみた。