王必の出自に関する妄想

王必強化月間なので妄想。

魏武故事載令曰「領長史王必、是吾披荊棘時吏也。忠能勤事、心如鐵石、國之良吏也。蹉跌久未辟之、捨騏驥而弗乘、焉遑遑而更求哉?故教辟之、已署所宜、便以領長史統事如故。」
(『三国志武帝紀注)

魏武つまり曹操の命令。
「丞相長史王必は、俺が今の覇業を始めた頃からの部下だ。忠実で能力があり、心は鉄や石のように堅い国の誇る良吏だぞ。時期を失ったので正式に辟招してなかったが、王必のような駿馬を使わずにおいて慌てて他の馬を求めるなんでことができようか?できるわけない。だから、王必を正式に辟招してしかるべき職に就けるように。その上で丞相長史の職はそのまま任せる。」


公府クラスからじきじきに辟招されるということは後漢の官僚予備軍にとっては誉れであり、当世の名士の証拠みたいなものではないだろうか。

曹操が王必についてこのような命令をわざわざ残すのは、つまり王必は本来なら辟招されることは無さそうな人物だが、王必は優秀だから特別に辟招するぞ、という王必への寵遇であろう。
と同時に、おそらくこういう命令を出さない限り王必はどんなに頑張っても辟招されない(士大夫的な意味での)名声、身分であったということなのではないだろうか。
つまり王必は薛悌あたりと同じで「微」で名士たちからは歯牙にもかけられていなかった出身だったのではなかろうか。