陳寿の本心その6

陳寿の本心
http://d.hatena.ne.jp/T_S/20081226/1230294035

陳寿の本心2
http://d.hatena.ne.jp/T_S/20081227/1230351266

陳寿の本心3
http://d.hatena.ne.jp/T_S/20081228/1230458254

自分は前にこのあたりのエントリで「陳寿の『三国志』は蜀を正統王朝っぽく書こうとしている」と主張した。
(反応は特に無かったが。)


陳寿の本心4
http://d.hatena.ne.jp/T_S/20090723/1248274879

陳寿の本心5
http://d.hatena.ne.jp/T_S/20090724/1248361250

陳寿の本心5.5
http://d.hatena.ne.jp/T_S/20090725/1248449500

で、今度は「陳寿の『三国志』の評では劉備を絶賛する一方で魏の曹操らに正統王朝失格の烙印を押している。この魏を落とす傾向は晋王朝の政治的要請にも合致していた」と主張した。


これらを総合するとこういうことである。


陳寿の『三国志』は曹操や魏帝たちを皇帝としての徳に欠けるものと断じる(秦になぞらえられている)一方で、劉備こそその徳を持っていたと示唆し、蜀漢を正統王朝同然に扱っている。

蜀漢正統論が後年になって興るのも、『三国演義』などで劉備が善玉、主役として登用され曹操が悪役となるのも、陳寿が『三国志』で表明(あるいは暗示)していた歴史観や人物観を踏襲したものだったのだと思う。


三国志』の魏書において記される華々しい武勲や功績、文章などは、皇帝としての曹氏を称揚するために収録されているのではないのだろう。
あれはおそらく、晋で貴族・高官になっている子孫たちのために収録されているのだ。