本当は恐ろしい司馬遷

漢書司馬遷伝のいわゆる「任少卿に報ずる書」について。

司馬遷の友人の任安(少卿)は、中書令という宦官の要職についた司馬遷に「古の賢臣の義」を責める書を送った。

ここでポイントが2点。
1つ。司馬遷の返答を見るに、任安は「不測の罪」により命さえどうなるかという状況であった。
もう1つ。任安はどうやら「推賢進士」について司馬遷に述べていたらしい。つまり、「古の賢臣の義」というのは「賢者を推薦すること」のようなのだ。
おそらくだが、「賢者」とは任安自身のことを指すのだろう。ぶっちゃけると命乞いである。
獄に下され処刑も迫った窮地にあって、
「皇帝の側近になった貴方から、賢者=自分を皇帝に推薦して助けてくれないか」
と任安は頼んだのであろう。

司馬遷はこう答える。
「俺が李陵を弁護したら獄に下された時、皇帝の側近の誰も俺を助けてくれなかったよね。それは少卿も自分で見てきたから知ってるよね」
任安は北軍使者や益州刺史という皇帝の側近を歴任してきた。つまり、司馬遷は任安を含む群臣が自分を助けてくれなかったことを責めている。

また更にこう言っている。
「俺も本当なら屈辱を受けないように自殺するべきだったんだけど、この司馬遷には夢がある。だから玉切られる屈辱を受けてまで生き恥晒したんだよ」
司馬遷は、自分のような理由が無いなら自決して屈辱を受けないほうがいいんじゃない?と任安に言っているのではないか。


任安と司馬遷のやりとりは、ものすごく簡略化するとおそらくこうだ。

任「有罪になった。助けて司馬えもん」
司馬「え?お前さ、俺が玉切られる時に全然助けてくれなかったよね?何ムシのいいこと言ってんの?とっとと死ね!」