漢の文帝の正妻

漢の文帝の皇后は竇氏だが、文帝が皇帝になる前、代王だった時には別に正妻(王后)が居た。

代王王后生四男。先代王未入立為帝而王后卒。及代王立為帝、而王后所生四男更病死。(『史記外戚世家)

その正妻は4人も男子を産んでいるが、本人は文帝が皇帝になるに先んじて死亡し、4人の子も文帝が皇帝になると次々病死したのだという。

正直、なんか陰謀の臭いを感じないでもないが、偶然ということもありうる。
ただし、高祖劉邦の子である趙王友、趙王恢や斉王の子である朱虚侯などは正妻が呂氏であり、王たちを監視していたと思われることを考えてみると、呂氏時代にも殺されなかった文帝の正妻も呂氏の縁者であり、その正妻を無碍に扱わなかったからこそ文帝は無事であった、という可能性もあるだろう。

仮に文帝の正妻も呂氏かその縁者だとすれば、呂氏を滅ぼした後に皇帝に立てられる文帝の正妻にはふさわしくない。そこで密かに死を賜った・・・。
4人の子にしても、呂氏のためにと復讐されてはたまらないので、密かに病死と称して殺されていった・・・。

といった、黒い文帝の姿を妄想できないこともない。