又遣浮沮將軍公孫賀出九原、匈河將軍趙破奴出令居、皆二千餘里、不見虜而還。 乃分武威・酒泉地置張掖・敦煌郡、徙民以實之。 (『漢書』巻六、武帝紀、元鼎六年秋) 河西の敦煌郡あたりは、なりたちからして漢の武帝が匈奴を下すか追い払うかしたところに民…
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