2021-07-01から1ヶ月間の記事一覧

東平の呂氏2

是時冀州統屬鎮北、而鎮北將軍呂昭才實仕進、本在(桓)範後。 (『三国志』巻九、曹爽伝注引『魏略』) 世語曰、(呂)昭字子展、東平人。長子巽、字長悌、為相國掾、有寵於司馬文王。次子安、字仲悌、與嵇康善、與康倶被誅。次子粹、字季悌、河南尹。粹子…

東平の呂氏

(建安八年)冬十月、到黎陽、為子(曹)整與(袁)譚結婚。(袁)尚聞公北、乃釋平原還鄴。 東平呂曠・呂翔叛尚、屯陽平、率其衆降、封為列侯。 (『三国志』巻一、武帝紀、建安八年) 曹操が袁紹の子袁尚らと戦っていた時、東平の人呂曠・呂翔が袁尚に背い…

部下も認めた

後從曹休征呉、與賊遇於夾石、休軍失利、(王)淩力戰決圍、休得免難。 (『三国志』巻二十八、王淩伝) 魏の王淩は曹休が呉を攻めた時に配下にいたが、そこで曹休がやらかして大敗孤立した。 その時に王淩の奮戦によって曹休は救われたのだという。いわば、…

来るのか来ないのか

台風、来るのか来ないのか・・・。 まあいずれ来るんだろうが。

尚広

干寶晉紀曰、王濬治船於蜀、吾彦取其流柹以呈孫晧、曰「晉必有攻呉之計、宜增建平兵。建平不下、終不敢渡江。」晧弗從。陸抗之克歩闡、晧意張大、乃使尚廣筮并天下、遇同人之頤、對曰「吉。庚子歳青蓋當入洛陽。」故晧不脩其政、而恆有窺上國之志。是歲也實…

甘延寿の封邑

甘延壽字君況、北地郁郅人也。少以良家子善騎射為羽林、投石拔距絶於等倫、嘗超踰羽林亭樓、由是遷為郎。・・・(中略)・・・車騎將軍許嘉薦延壽為郎中諫大夫、使西域都護騎都尉、與副校尉陳湯共誅斬郅支單于、封義成侯。薨、諡曰壯侯。傳國至曾孫、王莽敗…

復活

スマートフォン、同型機が届いたので交換してきた。 故障した機体を送り返す前に電源入れてみたら、一瞬電源が入ったかのようなバイブレーションがあって起動画面は出たが、そこから先には行かなかった。 うん、やっぱどうしようもないね。さようなら、前の…

故障

実はスマートフォンが突如電源が入らなくなり一切使えなくなるというトラブルに見舞われたので、2日ほど代用の貸与品を使っている。 貸与だといろいろ気にしてしまうので、早く交換したい。

リトルボーイ

短人國在康居西北、男女皆長三尺、人衆甚多、去奄蔡諸國甚遠。康居長老傳聞常有商度此國、去康居可萬餘里。 (『三国志』巻三十、烏丸鮮卑東夷伝注引『魏略西戎伝』) 『魏略西戎伝』によれば、西域の康居の更に西北にある「短人国」の住人は身長3尺であっ…

ビッグマン

車離國一名禮惟特、一名沛隸王、在天竺東南三千餘里、其地卑溼暑熱。其王治沙奇城、有別城數十、人民怯弱、月氏・天竺撃服之。其地東西南北數千里、人民男女皆長一丈八尺、乗象・橐駞以戰、今月氏役税之。 (『三国志』巻三十、烏丸鮮卑東夷伝注引『魏略西戎…

諸葛亮の秘めたる想い

待てよ、諸葛亮が昨日の記事で記したようなパワータイプの見た目と体格・体力だったとすれば、「敢えて軍服を着ずに軍を指揮していた」と言う話について、「単なる武辺者と思われたくなくて、敢えて軍人の格好を忌避していた」と考えられるな・・・。 巨体で…

力こそパワー

諸葛亮は身長「八尺」、劉備は「七尺五寸」。 陳寿『三国志』には関羽や張飛の身長自体は載ってないように見えるので、劉備・関羽・張飛・諸葛亮の身長は「諸葛亮>劉備>張飛>関羽」みたいな感じだった可能性が普通にあるのだろう。 また劉備は基本的にか…

軍略家武王

是時、諸侯不期而會盟津者八百諸侯。諸侯皆曰「紂可伐矣。」武王曰「女未知天命、未可也。」乃還師歸。 居二年、聞紂昏亂暴虐滋甚、殺王子比干、囚箕子、太師疵・少師彊抱其樂器而犇周。 於是武王徧告諸侯曰「殷有重罪、不可以不畢伐。」乃遵文王、遂率戎車…

司馬法

軍禮司馬法百五十五篇。 (『漢書』巻三十、芸文志、六芸略、礼) 凡兵書五十三家、七百九十篇、圖四十三卷。省十家二百七十一篇重、入蹵𠮑一家二十五篇、出司馬法百五十五篇入禮也。 (『漢書』巻三十、芸文志、兵書略) へえ、『漢書』芸文志の分類では、…

ひとこと

漢で「都護」といえば西域都護であり、西域全体を「護」する存在なのだが、後漢末の曹操政権や蜀漢の「都護」「都護将軍」などは何を「護」する存在なのだろうか? わかるようなわからないようなモヤモヤした感じ。

さよなら

ちょっと早起きだった事もあって、疲れてて頭が働かない。 さよならはまた会うためのおまじない。

今日は

ちょっと疲れたので、また今度。 暑くなってくると疲労も取れない気がする。気がするだけかもしれないし、病かもしれないし、年のせいかもしれない。

表と裏

(建武)十一年、與中郎將來歙攻河池、未剋、以病引還、拝為左馮翊、將軍如故。 【注】 續漢書曰「視事四年、人敬其威信。」 (『後漢書』列伝第八、蓋延伝) 後漢初期の功臣、怪力の蓋延。 彼は左馮翊として人々にその威信を敬服された、とされている。 華…

時間よ、戻れ

以趙將漢王三年降、屬淮陰侯、定趙・齊・楚、以撃平城、侯、七百戸。 五 (高祖)八年十月癸丑、齊侯趙將夜元年。 (『史記』巻十八、高祖功臣侯者年表、深澤齊侯趙将夜) 深澤齊侯趙將夕 以趙將漢王三年降、屬淮陰侯、定趙・齊・楚、以撃平城功侯、七百戸。…

ひとこと

ウチの毛玉ネッコが床に転がっているのを見て「夏」を感じた。 画像は無い。

受け継がれるもの

昨日の記事の後に思ったのだが、赤壁の敗戦を極力隠し、一切言及しないままに領土返上という「引責」だけはやるというスタンス、司馬昭の時に皇帝高貴郷公を殺した事について実態を極力隠し、皇太后と口裏を合わせて皇帝としてふさわしくなかった者扱いしな…

俺が悪い

(建安八年)己酉、令曰「司馬法『將軍死綏』。故趙括之母、乞不坐括。是古之將者、軍破于外、而家受罪于内也。自命將征行、但賞功而不罰罪、非國典也。其令諸將出征、敗軍者抵罪、失利者免官爵。」 (『三国志』巻一、武帝紀) 魏の武帝曹操は袁紹が死んだ…

思いつき

後漢末の元号「建安」が長々と続いたの、皇帝の意思により改元すべきところを皇帝の意思の発露がほとんど許されない状況に置かれたために改元も出来なくなった、みたいな事だったりしないだろうか? それなら、偉大に過ぎてほとんど皇帝と会ってなかったらし…

今日は

疲れたので、また今度。 ここだけの話、最近の楽天打線は負けても勝っても負けても「いいかげんにしろよコイツラ・・・」って言いたくなるな・・・。

ふとした疑問

(初平四年)下邳闕宣聚衆數千人、自稱天子。徐州牧陶謙與共舉兵、取泰山華・費、略任城。秋、太祖征陶謙、下十餘城、謙守城不敢出。 (『三国志』巻一、武帝紀) 三年、舉高第、再遷、六年、拝太山太守。 初平二年、黄巾三十萬衆入郡界。(應)劭糾率文武連…

アルハラ平原君

平原君與子高飲、強子高酒曰「昔有遺諺。堯・舜千鍾、孔子百觚、子路嗑嗑、尚飲十榼。古之賢聖、無不能飲也。吾子何辭焉。」 子高曰「以穿所聞、賢聖以道徳兼人、未聞以飲食也。」 平原君曰「即如先生所言、則此言何生。」 子高曰「生於嗜酒者。蓋其勸厲奬戲…

感謝

昨日の記事の劉宝について、諸賢よりいくつか教えていただいた。 なるほど、司馬駿の下にいたり、王浚の前任者だったりした人で、字は「道真」つまり劉道真と。 西晋の人なわけだ。 やはり分からない事は素直に言ってみるものだ。 教えていただき、ありがと…

ひとこと

漢書駁議二卷。晉安北將軍劉寶撰。 (『隋書』巻三十三、経籍志二、史) この『漢書駁議』なる書の編者とされる「晋の安北将軍劉宝」って何者なんだろうか? 安北将軍ならもう少し何かの記録がありそうなものなんだが・・・。 それとも何か字の誤りでもある…

大虎だよ!孔丘先生

(孔)融集與(曹)操書云「酒之為徳久矣。古先哲王、類帝禋宗、和神定人、以濟萬國、非酒莫以也。故天垂酒星之燿、地列酒泉之郡、人著旨酒之徳。堯不千鍾、無以建太平。孔非百觚、無以堪上聖。・・・(後略)・・・ (『後漢書』列伝第六十、孔融伝注) あ…

あっ

あっ、Komiflo結局無料期間過ぎても契約そのままにしてた。 まあいいや、このまま続けよう。 どんどん過去作品が読めなくなっていくのは残念だが、『快楽天』以外からも気に入った作者・作品を見つけられるのはいい。