2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧

劉太公の母

高祖、沛豐邑中陽里人、姓劉氏、字季。父曰太公、母曰劉媼。其先劉媼嘗息大澤之陂、夢與神遇。是時雷電晦冥、太公往視、則見蛟龍於其上。已而有身、遂産高祖。 (『史記』巻八、高祖本紀) 索隠、皇甫謐云「名執嘉。」王符云「太上皇名煓。」與湍同音。 正義…

それは正に鉄塊だった

冒頭で挙げている高祖の斬蛇剣も、七尺で解釈する史料はありますね。『後漢書』の劉昭注や『史記索隠』に引用される『漢旧儀』佚文が七尺説を採用しているので、後漢早期にはそういう解釈はすでに存在したのではないかとhttps://t.co/Blwqa778je— Archer (@A…

それは剣と言うにはあまりにも大きすぎた

「吾以布衣提三尺劍取天下、此非天命乎?命乃在天、雖扁鵲何益!」 (『史記』巻八、高祖本紀、高祖十二年) 漢の高祖劉邦は「俺は無官から三尺の剣を引っ提げて天下を取った」と言っている。 70センチくらいの剣という事か? 呉書曰、(太史)慈臨亡、歎…

曹嵩の謎2

及子(曹)操起兵、不肯相隨、乃與少子疾避亂琅邪、為徐州刺史陶謙所殺。 (『後漢書』列伝第六十八、宦者列伝、曹騰) 曹操の父曹嵩は、曹操挙兵の時に曹操に同行せず琅邪へ避難したという。 昨日も挙げた袁隗などの例からすると、曹嵩が洛陽近辺にいたなら…

曹嵩の謎

曹操が董卓の元から逃げ出した時、その途中で既に手配書が回っていて、曹操は危うくそのまま捕縛されるところだったという。 また、曹操や袁紹らの挙兵の際、袁紹の親族袁隗や袁紹と共に挙兵した崔鈞の父崔烈などは董卓に捕まっている。 まあ、董卓そしてそ…

玉印

衛宏曰、「秦以前以金・玉・銀為方寸璽。秦以來天子獨稱璽、又以玉、羣下莫得用。其玉出藍田山、題是李斯書、其文曰『受命于天、既壽永昌』、號曰傳國璽。漢高祖定三秦、子嬰獻之、高祖即位乃佩之。王莽篡位、就元后求璽、后乃出以投地、上螭一角缺。及莽敗…

なんだか

今日はこの時間になってドタバタし始めた・・・。

金氏、反乱を防ぐ

(霍)光以女妻(金)日磾嗣子賞。 ・・・(中略)・・・ 宣帝即位、賞為太僕、霍氏有事萌牙、上書去妻。 (『漢書』巻六十八、金日磾伝) 初、日磾所將倶降弟倫、字少卿、為黄門郎、早卒。日磾両子貴、及孫則衰矣、而倫後嗣遂盛、子安上始貴顯封侯。 安上字…

今日は

ヱヴァンゲリヲンを見て疲れたので、また明日。 さて、映画はいつ公開になることやら。

ネタ

昨日の記事書いた後に思った。 行く先行く先で要人の娘やら未亡人やらと懇ろになって出世していく「劉備島耕作」っていうのが見てみたい。

劉備の新しい妻

魏略曰、太祖始有丁夫人、又劉夫人生子脩及清河長公主。劉早終、丁養子脩。子脩亡於穰、丁常言「將我兒殺之、都不復念!」遂哭泣無節。太祖忿之、遣歸家、欲其意折。後太祖就見之、夫人方織、外人傳云「公至」、夫人踞機如故。太祖到、撫其背曰「顧我共載歸…

妻は同郷2

曹公表先主為鎮東將軍、封宜城亭侯、是歳建安元年也。先主與術相持經月、呂布乗虚襲下邳。下邳守將曹豹反、閒迎布。布虜先主妻子、先主轉軍海西。楊奉・韓暹寇徐・揚閒、先主邀撃、盡斬之。先主求和於呂布、布其妻子。先主遣關羽守下邳。先主還小沛、復合兵…

妻は同郷

曹操の正妻だった丁氏は沛の人だったんじゃないかと思われる。 劉備の正妻だった甘氏は沛の人だと記録されている。 曹操の正妻と劉備の正妻は同じ土地の出身という事だ。 そこはかとなく胸が熱くなる関係性を妄想できるではないか。

未完

休みを経てはいるけどちょっと疲れてるので、一休みとします。 俺はようやく登り始めたばかりだからな、この果てしなく遠いインコ坂をよ・・・

『呉歴』編者

赤烏六年卒、子(胡)沖嗣。沖平和有文幹、天紀中為中書令。 【注】 呉録曰、沖後仕晉尚書郎・呉郡太守。 (『三国志』巻六十二、胡綜伝) 呉暦六卷、胡沖撰。 (『旧唐書』巻四十六、経籍志上、乙部史録、雑史類) 『三国志』注でしばしば引用されている『…

生粋の武人

孫策・孫権に仕えて中郎将、校尉、将軍を歴任。 あの赤壁の戦いの時など、軍を率いて戦った。 魏の使者が無礼であった時には「呉にはヤッパが無いとでも思っとるんかのう?」と脅しの言葉を吐いて魏の使者をビビらせた。 かなりの武闘派、よく言えば武人とい…

呉王主従の怒り

楚王彪字朱虎。建安二十一年、封壽春侯。黄初二年、進爵、徙封汝陽公。三年、封弋陽王。其年徙封呉王。五年、改封壽春縣。 (『三国志』巻二十、楚王彪伝) 魏の曹彪(曹操の子)は、黄初3年に呉王になっている。 是月、孫權復叛。復郢州為荊州。帝自許昌南…

昨日のひとことの続き

『建康実録』を見てみたんだが、孫権が曹丕から呉王に封建される時に群臣が「上将軍・九州伯」を称して魏の封建を受けるべきでない、との議論をしたという(『三国志』注の『江表伝』に同種の記述がある。)。 これ、江表や交州の実質的な支配を認めていなが…

ひとこと

あれ? 孫権が魏の曹丕から「呉王」に封建された時の「呉王国」の領土って、どこかに明記されてたっけ・・・? 孫権の支配域全域、あるいは旧揚州全域って事で良かったのだろうか・・・? どこかに書いてたかもしれないけど、調べるの面倒なので、いつかの自…

就任制限

初、朝議以州郡相黨、人情比周、乃制婚姻之家及両州人士不得對相監臨。至是復有三互法、禁忌轉密、選用艱難。 【注】 三互謂婚姻之家及両州人不得交互為官也。謝承書曰「史弼遷山陽太守、其妻鉅野薛氏女、以三互自上、轉拝平原相」是也。 (『後漢書』列伝第…

賀氏の血統

賀齊字公苗、會稽山陰人也。 ・・・(中略)・・・ 後四年卒、子達及弟景皆有令名、為佳將。 (『三国志』巻六十、賀斉伝) 賀邵字興伯、會稽山陰人也。孫休即位、從中郎為散騎中常侍、出為呉郡太守。孫晧時、入為左典軍、遷中書令、領太子太傅。 (『三国志…

ひとこと

王沈字處道、太原晉陽人也。祖柔、漢匈奴中郎將。父機、魏東郡太守。沈少孤、養於從叔司空昶、事昶如父、奉繼母寡嫂以孝義稱。 (『晋書』巻三十九、王沈伝) 『晋書』によれば王沈の「従叔」は魏の王昶だという。 其為兄子及子作名字、皆依謙實、以見其意、…

似た者親子

t-s.hatenablog.com 劉禅は晋に降伏して安楽公になった。 その安楽公劉禅は後継ぎとして当時の長子ではなく中子の劉恂を敢えて選んだらしい。 だがその二代目安楽公は「驕暴」「淫乱無道」であったとされ、蜀ゆかりの者たちが廃位を願い出ようとまで思ったそ…

神秘の種つけおじさん

t-s.hatenablog.com この辺の話のまとめ。 t-s.hatenablog.com 漢代頃、「人が馬に自分の子を産ませた」という話があった。 つまり、家畜が人間の子を産む可能性が無くもないのだ、と当時なら思われていた、かもしれない。 哀帝建平中、豫章有男子化為女子、…

蘇武の子

t-s.hatenablog.com 昨日の記事について、ちょっと面白い指摘をいただいたので紹介しておく。 人及鳥生子曰乳、獣曰産。 (『説文解字』) なんでも、人や鳥が子供を成す時は「乳」、獣が子供を成す時は「産」という語で表す、と『説文解字』では言っている…

蘇武×雄羊

t-s.hatenablog.com 以前、前漢の蘇武が匈奴単于に「雄の羊が子供を産んだら漢に帰してやる」と言った、という話について、「蘇武自身が雄の羊に『子供が産まれる行為』をしていたのではないか」と考察した事があった。 このたび、このブログの昔の記事を読…

滎陽郡開封県の鄭氏

鄭沖字文和、滎陽開封人也。起自寒微、卓爾立操、清恬寡欲、耽玩經史、遂博究儒術及百家之言。有姿望、動必循禮、任真自守、不要郷曲之譽、由是州郡久不加禮。 (『晋書』巻三十三、鄭沖伝) 魏から晋にかけての儒者、滎陽郡開封県の鄭沖。彼は晋草創期の大…

はがない

成恭杜皇后諱陵陽、京兆人、鎮南將軍預之曾孫也。父乂、見外戚傳。 成帝以后奕世名徳、咸康二年備禮拝為皇后、即日入宮。帝御太極前殿、羣臣畢賀、晝漏盡、懸籥、百官乃罷。后少有姿色、然長猶無齒、有來求婚者輒中止。及帝納采之日、一夜齒盡生。改宣城陵陽…

晋の丞相司直

劉隗字大連、彭城人、楚元王交之後也。父砥、東光令。隗少有文翰、起家祕書郎、稍遷冠軍將軍・彭城内史。避亂渡江、元帝以為從事中郎。 隗雅習文史、善求人主意、帝深器遇之。遷丞相司直、委以刑憲。 (『晋書』巻六十九、劉隗伝) 及有變、司直彈劾衆官、元…

学問はカネになる

(韋)賢四子。長子方山為高寢令、早終。次子弘、至東海太守。次子舜、留魯守墳墓。少子玄成、復以明經歴位至丞相。 故鄒魯諺曰「遺子黃金満籯、不如一經。」 (『漢書』巻七十三、韋賢伝) 前漢の韋賢は儒学を修めて丞相となり、同じく子の韋玄成も儒学で名…