2016-07-01から1ヶ月間の記事一覧

親孝行か親不孝か

文帝甄后賜死、故不列廟。明帝即位、有司奏請追諡曰文昭皇后、使司空王朗持節奉策告祠于陵。三公又奏曰「自古周人始祖后稷、又特立廟以祀姜嫄。今文昭皇后之於後嗣、聖徳至化、豈有量哉。夫以皇家世妃之尊、神靈遷化、而無寝廟以承享祀、非以報顯徳、昭孝敬…

飲み会後

飲み会から帰ってきたところなので、寝る。

ひとこと

「三國無双」で実の母に対して「勝てそうですぜ!」とか言い出すモブをここまでプッシュするワイは烈祖様に感謝されていいよなあ。

烈祖ひとこと

中国の歴代王朝の廟号としての「烈祖」は、魏王朝の烈祖様の後も何例か使われている(例えば元のテムジンの父への追尊)が、「世祖」あたりと比べると同じ「祖」でも少し少な目に思う。 魏の烈祖様のせいだ、などとは言わないつもりだが、積極的に選んでいく…

烈祖とは

伊尹乃明言烈祖之成徳以訓于王。 【傳】湯有功烈之祖、故稱焉。 【疏】傳湯有至稱焉。正義曰、湯有功烈之祖、毛詩傳文也。烈訓業也。湯有定天下之功業為商家一代之大祖、故以烈祖稱焉。 (『尚書』商書、伊訓第四) 「烈祖」というのは殷の湯王のことを伊尹…

張安世と司馬遷

数日前の記事(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20160722/1469114760)で、私は「尚書令張安世は漢武帝に対して兄のため助命嘆願をし、そのおかげで兄の張賀は処刑ではなく宮刑で済んだ」という話を書いた。 一方、もう少し前の記事(http://d.hatena.ne.jp/T_S/2…

漢代の列侯

高祖末年、非劉氏而王者、若無功上所不置而侯者、天下共誅之。 (『史記』巻十七、漢興以来諸侯王年表) 前漢高祖の末年、高祖と功臣は「劉氏でないのに王となる者、もしくは功績なく、皇帝が領地を置いていないのに侯になる者は、天下の者は力を合わせて誅…

前例

嫪毐封為長信侯。予之山陽地、令毐居之。宮室車馬衣服苑囿馳獵恣毐。事無小大皆決於毐。又以河西太原郡更為毐國。 (『史記』巻六、秦始皇本紀、始皇八年) 始皇九年、有告嫪毐實非宦者、常與太后私亂、生子二人、皆匿之。 (『史記』巻八十五、呂不韋列伝)…

ねみい

そろそろ寝る。 記事は気が向いたら起きてから。

恥辱の生を選んだ理由

前漢の宦官、張賀は漢の宣帝最大の恩人である。 そして彼は武帝の時の大臣、「酷吏」として有名な張湯の長男であった。 初、(張)安世兄賀幸於衛太子、太子敗、賓客皆誅、安世為賀上書、得下蠶室。 後為掖庭令、而宣帝以皇曾孫收養掖庭。賀内傷太子無辜、而…

どうでもいいが

実は最近地味に忙しい。 そんな中、家ではインコが籠から自力で脱出していた。 脱出対策を施さないと・・・。

宦官と皇帝

孝武鉤弋趙祜礱、昭帝母也、家在河間。 武帝巡狩過河間、望氣者言此有奇女、天子亟使使召之。既至、女両手皆拳、上自披之、手即時伸。由是得幸、號曰拳夫人。 先是其父坐法宮刑、為中黄門、死長安、葬雍門。 (『漢書』巻九十七上、外戚伝上、孝武鉤弋趙祜礱…

献帝=おむすび

帝堯之母曰慶都、生於斗維之野、常有黄雲覆護其上。及長、觀于三河、常有龍隨之。一旦龍負圖而至、其文要曰「亦受天祐。」眉八彩、鬢髮長七尺二寸,面鋭上豐下、足履翼宿。既而陰風四合、赤龍感之。孕十四月而生堯於丹陵、其状如圖。及長、身長十尺、有聖徳…

献帝の外見

獻帝起居注載策曰「孝靈皇帝不究高宗眉壽之祚、早棄臣子。皇帝承紹、海内側望、而帝天姿輕佻、威儀不恪、在喪慢惰、衰如故焉。凶徳既彰、淫穢發聞、損辱神器、忝污宗廟。皇太后教無母儀、統政荒亂。永樂太后暴崩、衆論惑焉。三綱之道、天地之紀、而乃有闕、…

烈祖様のゴシップで打線組んだ

先日の打線は個人的にはそこそこ自信作だったくらいなのだが、どうも反応が薄いように思えた。 なので、今度は三国志一愛すべき皇帝陛下であるところの魏の烈祖明皇帝様こと曹叡様の「ゴシップ打線」も組んでみた。 あくまでもゴシップであり、真実であると…

ひとこと

おかしい・・・昨日の記事の後も烈祖様ブームがやってこない・・・。 烈祖様打線が凄く綺麗に見えるようにしておいたというのに・・・。

烈祖様の業績で打線組んだ

かつてやった「三国志打線シリーズ」最新版を作った。 今回はあの魏の明帝曹叡こと烈祖様について、である。

【提案】

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20160709/1467992822で紹介した「魏の曹叡こと烈祖明皇帝様の病気が治る魔法の水」のことは、「烈祖水」と呼ぶとなんとなく親しみが持てるのではないだろうか。 また近年巷に出回る「身体によい水」「病気が治る水」の類も、同じ…

百万の軍勢を率いても

初、太傅(訒)禹歎曰「吾將百萬之衆、未嘗妄殺一人、其後世必有興者。」 (『後漢書』紀第十上、和熹訒皇后紀) 後漢の光武帝の功臣訒禹は、「私は百万の軍勢を率いていてもいまだかつて一人だって妄りに命を奪ったりはしなかったから、子孫から大成する者…

曹丕の命令

甲午、軍次於譙、大饗六軍及譙父老百姓於邑東。 【注】 魏書曰、設伎樂百戲、令曰「先王皆樂其所生、禮不忘其本。譙、霸王之邦、真人本出、其復譙租税二年。」三老吏民上壽、日夕而罷。丙申、親祠譙陵。 (『三国志』巻二、文帝紀、元康元年七月) この記事…

曹操、百歳以上の老人を殺すの巻

華佗字元化、沛國譙人也。一名旉。遊學徐土、兼通數經。曉養性之術、年且百歳而猶有壯容、時人以為仙。沛相陳珪舉孝廉、太尉黄琬辟皆不就。 (『後漢書』列伝第七十二下、方術列伝下、華佗) かの有名な華佗であるが、『後漢書』列伝においては「百歳くらい…

冤罪を救うということ

雷義字仲公、豫章鄱陽人也。 初為郡功曹、嘗擢舉善人、不伐其功。義嘗濟人死罪、罪者後以金二斤謝之、義不受、金主伺義不在、默投金於承塵上。後葺理屋宇、乃得之、金主已死、無所復還、義乃以付縣曹。 (『後漢書』列伝第七十一、独行列伝、雷義) 後漢の雷…

烈祖様の水素還元水と漢武の魔法の露

時百姓凋匱而役務方殷、(衛)覬上疏曰・・・(中略)・・・昔漢武信求神仙之道、謂當得雲表之露以餐玉屑、故立仙掌以承高露。陛下通明、毎所非笑。漢武有求於露、而由尚見非、陛下無求於露而空設之、不益於好而糜費功夫、誠皆聖慮所宜裁制也。 (『三国志』…

七夕

http://jojo-animation.com/special/tanabata.html 「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 七夕まつり in S市杜王町」だそうな。 M県S市在住の身としては気になるところ。

涼州復興の一里塚

時軍師杜襲・督軍薛悌皆言明年麥熟、(所轄)亮必為寇、隴右無穀、宜及冬豫運。帝曰「亮再出祁山、一攻陳倉、挫衄而反。縱其後出、不復攻城、當求野戰、必在隴東、不在西也。亮毎以糧少為恨、歸必積穀、以吾料之、非三稔不能動矣。」於是表徙冀州農夫佃上邽…

濡らした穀物

及獻帝初平中、董卓乃更鑄小錢、由是貨輕而物貴、穀一斛至錢數百萬。 至魏武為相、於是罷之、還用五銖。是時不鑄錢既久、貨本不多、又更無筯益、故穀賤無已。 及黄初二年、魏文帝罷五銖錢、使百姓以穀帛為市。 至明帝世、錢廢穀用既久、人間巧偽漸多、競溼穀…

趙の司馬氏

昨日の記事を思い返して一つ感じた事。 秦が滅ぶ直前の頃、司馬懿らの先祖とされる司馬卬(殷王)が趙の別動隊として秦攻めをしていたという話があった。 しかも、趙がまだ包囲を受けているような時期(あるいは包囲が解けた直後)にだ。 こんな重要なポジシ…

再返信、あるいは司馬懿の先祖の剣豪について

昨日の記事(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20160703/1467476920)のコメント欄でid:nagaichi氏より「『史記会注考証』に「蒯聵」=「蓋聶」説がある」とのご指摘をいただいた。 現在『史記会注考証』を直接参照できないのだが、王先謙『漢書補注』を確認したと…

返信

昨日のコメント欄にて「太史公自序の冒頭で名前が出る蒯聵と言う人物は、一体何なんでしょう?」というご質問をいただいた。 自司馬氏去周適晉、分散、或在衛、或在趙、或在秦。 其在衛者、相中山。 在趙者、以傳劍論顯、蒯聵其後也。 【注】 正義、五怪反。…

今は

次に何をネタにしようか考え中・・・。 何か希望とかあればコメントください。その通りにするとは限りませんが。