2015-06-01から1ヶ月間の記事一覧

ふと思った

昨日までの皇太后などの記事を考えていて思ったが、皇帝に実子が無くて傍系から養子を取るときにほぼ確実に問題化する「実父・実母をどう扱うか」について考えうる最高の対策(少なくとも皇帝はそう考えた)が魏の明帝が斉王芳らを子として迎えた時の方法な…

後宮は皇太后でいっぱい

成帝崩、哀帝即位。王太后詔令傅太后・丁姫十日一至未央宮。高昌侯董宏希指、上書言宜立丁姫為帝太后。師丹劾奏宏懷邪誤朝、不道。」上初即位、謙讓、從師丹言止。 後乃白令王太后下詔、尊定陶恭王為恭皇。哀帝因是曰「春秋『母以子貴』、尊傅太后為恭皇太后…

バーゲンセール

太后崩、有司上言「清河孝王至徳淳懿、載育明聖、承天奉祚、為郊廟主。漢興、高皇帝尊父為太上皇、宣帝號父為皇考、序昭穆、置園邑。大宗之義、舊章不忘。宜上尊號曰孝徳皇、皇妣左氏曰孝徳后、孝紱皇母宋貴人追謚曰敬隠后。」 (『後漢書』列伝第四十五、清…

今日は

飲み会だったので休んでいます。 あと『ファイアーエムブレムif』買いました。 白い方が比較的簡単って聞いたので黒い方を。 まだ始めたばかりです。

微妙な立場

建寧元年、帝即位、追尊萇為孝仁皇、陵曰慎陵、以后為慎園貴人。及竇氏誅、明年、帝使中常侍迎貴人、并徴貴人兄寵到京師、上尊號曰孝仁皇后、居南宮嘉徳殿、宮稱永樂。 (『後漢書』紀第十下、皇后紀下、孝仁董皇后) (何)進與三公及弟車騎將軍苗等奏「孝…

孝仁皇后の罪と罰

及竇太后崩、始與朝政、使帝賣官求貨、自納金錢、盈滿堂室。 (『後漢書』紀第十下、皇后紀下、孝仁董皇后) (何)進與三公及弟車騎將軍苗等奏「孝仁皇后使故中常侍夏綠・永樂太僕封諝等交通州郡、辜較在所珍寶貨賂、悉入西省。蕃后故事不得留京師、輿服有…

孝仁皇后

閏月甲午、追尊皇祖為孝元皇、夫人夏氏為孝元皇后、考為孝仁皇、夫人董氏為慎園貴人。 (『後漢書』紀第八、孝霊帝紀、建寧元年) 三月乙巳、尊慎園董貴人為孝仁皇后。 (『後漢書』紀第八、孝霊帝紀、建寧二年) 六月辛亥、孝仁皇后董氏崩。 (『後漢書』紀…

宦官と皇太后

(何)進謀積日、頗泄、中官懼而思變。張讓子婦、太后之妹也。讓向子婦叩頭曰「老臣得罪、當與新婦倶歸私門。惟受恩累世、今當遠離宮殿、情懐戀戀、願復一入直、得暫奉望太后・陛下顔色、然後退就溝壑、死不恨矣。」子婦言於舞陽君、入白太后、乃詔諸常侍皆…

宝石に目がくらんで

初、(田)豫以太守督青州、青州刺史程喜内懐不服、軍事之際、多相違錯。喜知帝寶愛明珠、乃密上「豫雖有戰功而禁令𥶡弛、所得器仗珠金甚多、放散皆不納官。」由是功不見列。 (『三国志』巻二十六、田予伝) 三国時代、魏の田予。 彼は異民族や孫権相手に軍…

刀剣産地

按、呉越春秋楚王令風胡子請請呉干將・越歐冶作劍二、其一曰龍泉*1、二曰太阿。又太康地記曰「汝南西平有龍泉水、可以淬刀劍、特堅利、故有龍泉之劍、楚之寶劍也。以特堅利、故有堅白之論云『黄、所以為堅也。白、所以為利也。』齊辨之曰『白、所以為不堅。…

莫邪

臨兒國、浮屠經云其國王生浮屠。浮屠、太子也。父曰屑頭邪、母云莫邪。 (『三国志』巻三十、東夷伝注引『魏略』西戎伝) この「浮屠」はいわゆるブッダのことだから父「屑頭邪」はスッドーダナ王、母「莫邪」は生母マーヤーのことなのか。 中国版刀剣乱舞が…

多分買う

『ファイアーエムブレムif』は気が付けば来週発売である。 前作は2012年発売なので何だか待たされたような気もするが、良く考えたらファイアーエムブレムではそれくらいの間隔なら言うほど待たされてない。 課金コンテンツについては批判的な声もあるよ…

反董卓の挙兵

任峻字伯達、河南中牟人也。 漢末擾亂、關東皆震。中牟令楊原愁恐、欲棄官走。峻説原曰「董卓首亂、天下莫不側目、然而未有先發者、非無其心也、勢未敢耳。明府若能唱之、必有和者。」原曰「為之奈何?」峻曰「今關東有十餘縣、能勝兵者不減萬人、若權行河南…

曹操、死ぬ(誤)

武宣卞皇后、瑯邪開陽人、文帝母也。本倡家、年二十、太祖於譙納后為妾。 後隨太祖至洛。及董卓為亂、太祖微服東出避難。袁術傳太祖凶問、時太祖左右至洛者皆欲歸、后止之曰「曹君吉凶未可知、今日還家、明日若在、何面目復相見也?正使禍至、共死何苦!」遂…

卞氏、洛陽に残るの巻

武宣卞皇后、瑯邪開陽人、文帝母也。本倡家、年二十、太祖於譙納后為妾。 後隨太祖至洛。及董卓為亂、太祖微服東出避難。袁術傳太祖凶問、時太祖左右至洛者皆欲歸、后止之曰「曹君吉凶未可知、今日還家、明日若在、何面目復相見也?正使禍至、共死何苦!」遂…

反乱者の親族の末路

(翟)義遂與東郡都尉劉宇・嚴郷侯劉信・信弟武平侯劉璜結謀。及東郡王孫慶素有勇略、以明兵法、徴在京師、義乃詐移書以重罪傳逮慶。於是以九月都試日斬觀令、因勒其車騎材官士、募郡中勇敢、部署將帥。 嚴郷侯信者、東平王雲子也。雲誅死、信兄開明嗣為王、…

曹操挙兵の経緯について一考

昨日の記事の補足のようなもの。 會靈帝崩、太子即位、太后臨朝。大將軍何進與袁紹謀誅宦官、太后不聽。進乃召董卓、欲以脅太后、卓未至而進見殺。卓到、廢帝為弘農王而立獻帝、京都大亂。卓表太祖為驍騎校尉、欲與計事。太祖乃變易姓名、間行東歸。 【注】 …

曹操逃亡後の沛国

會靈帝崩、太子即位、太后臨朝。大將軍何進與袁紹謀誅宦官、太后不聽。進乃召董卓、欲以脅太后、卓未至而進見殺。卓到、廢帝為弘農王而立獻帝、京都大亂。卓表太祖為驍騎校尉、欲與計事。太祖乃變易姓名、間行東歸。出關、過中牟、為亭長所疑、執詣縣、邑中…

発売未定

一部では既に噂になっているだろうが、『ファイブスター物語』13巻の発売は7月であると作者本人が宣言していた。 まあ、この作者の言う事は基本あてにならないので、「出す気はあるんだな」ということを確認したことをもって良しとすることにした。

帰り道。

ちょっち遠出しているナリ

疎開のワケ

初、袁忠為沛相、嘗欲以法治太祖、沛國桓邵亦輕之、及在兗州、陳留邊讓言議頗侵太祖、太祖殺讓、族其 家、忠・邵俱避難交州、太祖遣使就太守士燮盡族之。桓邵得出首、拜謝於庭中、太祖謂曰「跪可解死邪!」遂殺之。 (『三国志』巻一、武帝紀注引『傅子』) …

愚民

大軍南征還、以温恢為揚州刺史、(蔣)濟為別駕。令曰「季子為臣、呉宜有君。今君還州、吾無憂矣。」 民有誣告濟為謀叛主率者、太祖聞之、指前令與左將軍于禁・沛相封仁等曰「蔣濟寧有此事!有此事、吾為 不知人也。此必愚民樂亂、妄引之耳。」促理出之。辟…

張松について

□□、南安將軍張表、字伯達。 成都人也。伯父肅、廣漢太守。父松、字子喬、州牧劉璋別駕從事。 (『華陽国志』附「益梁寧三州先漢以來士女目録」) 晋の張表は上記引用によれば三国志きっての男前で有名な張松の子だという*1。 張松の字は「子喬」、彼らの本…

止戈

「『武』という字は「戈」(ほこ)を「止」めるという字なのだ」という言い回しがある。 武道を説く時などに用いられることが多いようだが、その由来はどこまで遡ることなのだろうか。

伯と孟

適長稱伯、伯禽是也。 庶長稱孟、魯大夫孟氏是也。 (『白虎通』姓名) 「嫡長子は『伯』、庶長子は『孟』と称す」ということについて一応メモっておく。 後漢代に常に『白虎通』の通りに字が命名されているとは限らないが、三国志の時代の人物たちで字に「…

劉表の息子

及(劉)表病甚、(劉)蒅歸省疾、素慈孝、(張)允等恐其見表而父子相感、更有託後之意、乃謂蒅曰 「將軍命君撫臨江夏、其任至重。今釋衆擅來、必見譴怒。傷親之歡、重筯其疾、非孝敬之道也。」遂遏于戸外、使不得見。蒅流涕而去、人衆聞而傷焉。遂以(劉)…

曹操の弟

東平靈王徽、奉叔公朗陵哀侯玉後。 (『三国志』巻二十、東平霊王徽伝) 樊安公均、奉叔父薊恭公彬後。 (『三国志』巻二十、樊安公均伝) 曹操の息子たちの何人かは、叔父の後を継いだことになっている。 つまり、実子がいないまま死んで子孫として祭祀を行…

ふと思った事

興平元年、前太尉曹嵩及子徳從琅邪入太山、(應)劭遣兵迎之、未到、而徐州牧陶謙素怨嵩子操數撃之、乃使輕騎追嵩・徳、並殺之於郡界。劭畏操誅、弃郡奔冀州牧袁紹。 (『後漢書』列伝第三十八、応劭伝) かの有名な曹操の父曹嵩が殺される時のことであるが…

闇が深い

是時袁紹方彊、而(孫)策并江東、曹公力未能逞、且欲撫之。乃以弟女配策小弟匡、又為子章取賁女、皆禮辟策弟權・翊、又命揚州刺史嚴象舉權茂才。 (『三国志』巻四十六、孫策伝) 孫策の時代、曹操は孫策と結ぶため、自分の弟の娘を孫策の弟の孫匡に嫁がせ…