2013-02-01から1ヶ月間の記事一覧

買うの忘れてた

あ、『グラゼニ』9巻と『ラブやん』18巻、出てるの忘れてた。 買いに行かないと・・・。 しかし、こう言っちゃなんだけど『グラゼニ』って最近面白くないとは言わないけどそろそろ掘り下げるネタも無くなってきてるんじゃないのかなあ。

部屋持ち

後宮則有掖庭椒房、后妃之室、合歡増成、安處常寧、茝若椒風、披香發越、蘭林螵草、鴛鸞飛翔之列。 【注】 漢官儀曰「婕簱以下皆居掖庭。」三輔黄圖曰「長樂宮有椒房殿。」前書曰「班婕簱居増成舍。」桓譚新論曰「董賢女弟為昭儀、居舍號曰椒風。」漢宮閣名…

三百歳

哀帝時有老才人范蘭、言年三百歳、初與人相見則喜而相應和、再三則罵而逐人。 (桓譚『新論』弁惑篇) 漢の哀帝の頃、後宮の女官に三百歳と噂される范蘭という老婆がいたそうだ。 本当なら高祖の頃には既にいい年だったことになる。エルフか何か? 彼女は人…

戯言

主爵中尉、秦官、掌列侯。景帝中六年更名都尉、武帝太初元年更名右扶風、治内史右地。 (『漢書』百官公卿表上) 列侯をつかさどったという主爵都尉が三輔の太守である右扶風になったというのって、「主爵都尉の職務が他省庁に分散されて官庁としては廃止さ…

謎の現象

なんなんだろうこれは・・・。 なんで今日は「北方領子の災難」を検索する人がこんなに多いんだろうか・・・? まあ別にいいけど。

人の死を悼む鸚哥

歳餘、順帝即位、樊豐・周廣等誅死、震門生虞放・陳翼詣闕追訟震事。朝廷咸稱其忠、乃下詔除二子為郎、贈錢百萬、以禮改葬於華陰潼亭、遠近畢至。先葬十餘日、有大鳥高丈餘、集震喪前、俯仰悲鳴、涙下霑地、葬畢、乃飛去。郡以状上。 時連有灾異、帝感震之枉…

始皇后

始皇后葬用大蠶二十箔。 (『太平御覧』所引『三輔故事』) 始皇后すなわち秦の始皇帝の皇后の葬儀の際には大きな蚕の「箔」(蚕に繭を作らせる容器)二十個を用いた。 やっぱり始皇帝の皇后っていたんやね。 【追記】 id:t-hirosaka氏のコメントを読んで我…

垓下の古戦場

洨、侯國。垓下、高祖破項羽。莽曰育成。 (『漢書』巻二十八上、地理志上、沛郡) 漢の高祖が項羽を破った「垓下の戦い」の戦場は沛郡だったのか。 漢の高祖は沛郡に生まれて沛郡で挙兵して沛郡で最後の敵項羽を倒したわけだ。 項羽から見れば敵方のホーム…

ただしイケメン皇帝に限る

掖庭令晝漏未盡八刻、廬監以茵次上婕簱以下至後庭、訪白録所、録所推當御見。刻盡、去簪珥、蒙被入禁中、五刻罷、即留。女御長入、扶以出。御幸賜銀鐶、令書得環數、 計月日無子、罷廢不得復御。 (衛宏『漢旧儀』巻下) 漢代の後宮での話。 正直言うととこ…

漢の漢たちを語る13「人は過ちを繰り返す」:申屠嘉

漢の高祖の功臣最後の生き残り、と言えそうなのは誰か。 解釈次第で色々な人物を挙げる事が出来そうだが、その一人として挙がりそうなのが申屠嘉であろう。

前漢滅亡の予言

(路)温舒從祖父受暦數天文、以為漢厄三七之間、上封事以豫戒。成帝時、谷永亦言如此。及王莽篡位、欲章代漢之符、著其語焉。 (『漢書』巻五十一、路温舒伝) 前漢宣帝頃の路温舒という人は、暦学・天文学を学んだ末に漢王朝は「三七の間」に災厄が降りか…

変幻自在

丹揚郡。故鄣郡。屬江都。武帝元封二年更名丹揚。屬揚州。戸十萬七千五百四十一、口四十萬五千一百七十一。 (『漢書』巻二十八上、地理志上) 丹陽。楚之先熊繹所封、十八世、文王徙郢。 (『漢書』巻二十八上、地理志上) 『漢書』地理志では、丹「揚」郡…

漢の漢たちを語る12「戦場を駆ける」:潅嬰

かの項羽が最後に呉への逃亡を拒否して漢の追っ手に追いつかれ自殺したことは有名だが、その漢の追っ手の指揮官が誰であったかは割と知られていないのではなかろうか。 項王乃曰「吾聞漢購我頭千金・邑萬戸、吾為若徳。」乃自刎而死。王翳取其頭、餘騎相蹂踐…

真実の無い穿鑿にドロップキック

師古曰「中古以來、説地理者多矣、或解釋經典、或撰述方志、競為新異、妄有穿鑿、安處互會、頗失其真。後之學者、因而祖述、曾不考其謬論、莫能尋其根本。今並不録、蓋無尤焉。」 (『漢書』巻二十八上、地理志上) 『漢書』注釈の大家である顔師古は言った…

新釈鴻門の会

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20130214/1360771196の続き。 「傾奇者」で「いくさにん」な劉邦で「鴻門の会」を再解釈してみよう。

花の劉季

漢の高祖劉邦は、小説とか漫画といった物語のイメージで、どことなく「弱い」「情けない」「野卑」といった印象を抱いていないだろうか? まあ当たってる面も無きにも非ずだが、この記事にあるように全身に「いくさきず」がある歴戦のつわものであったりもす…

どうでもいいこと

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E7%AB%8BT%E5%A5%B3%E5%AD%90%E5%AD%A6%E5%9C%92 俺の好きな漫画の一つ「私立T女子学園」って1995年開始なのか・・・。 もう18年経ってるってことか・・・?色々な意味でヤバイ。

魯から大河そして東平

夏侯勝字長公。初、魯共王分魯西寧郷以封子節侯、別屬大河、大河後更名東平、故勝為東平人。 (『漢書』巻七十五、夏侯勝伝) 夏侯勝の故郷である魯の西寧郷は、魯王が子供の領地として分地した土地だという*1。 そこで、魯国から大河郡へと管轄する郡(国)…

漢の漢たちを語る11「夕べに死すとも」:夏侯勝

前漢の宣帝の頃、夏侯勝という儒者がいた。 彼は『尚書』と五行説に通じ、それらを元に昭帝死後に即位した昌邑王廃立計画を予言して霍光らに驚かれたという怪人物であった。 そんな彼は宣帝が即位すると皇太后14歳の教育役とされ、長信少府・関内侯という…

孔丘先生の外見

夫子適周見萇弘、言終而退。萇弘語劉文公曰、吾觀孔仲尼有聖人之表、其状河目而隆顙、黄帝之形貌也。修肱而龜背、其長九尺有六寸、成湯之容體也。然言稱先王、躬履謙讓、洽聞強記、博物不窮、抑亦聖人之興者乎。劉子曰、方今周室衰微而諸侯力爭、孔丘布衣、…

急就

至元帝之世、史游為黄門令、勤心納忠、有所補益。 (『後漢書』列伝第六十八、宦者列伝) 急就一篇。元帝時黄門令史游作。 (『漢書』巻三十、芸文志、小学) 前漢元帝の時、元帝は宦官を信任していたことで有名なのだが、そんな宦官の中でもこんな人物もい…

冢田虎

『孔叢子校釈』を見ていたら注釈の引用で「冢田虎」って人物の注が出てくるんだが・・・。 日本人の「冢田大峰」(名は「虎」)のことやったんか・・・!! 割とマジで「冢氏って珍しい姓やなー、田虎って珍しい名やなー」って思ってたわ! 荻生徂徠の『論語…

残念さやかちゃんでした

先日の記事(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20130203/1359823585)で、後漢の早い段階で漢の武帝が当時の士人から「犬」扱い(上中下の評価なら下っていうことだろう)されていたことを述べた。 世語曰、帝與朝士素不接、即位之後、羣下想聞風采。居數日、獨見…

漢の漢たちを語る10「クッキングされるパパ」:劉太公

漢の高祖、劉邦。 その父は『史記』などで「太公」と呼ばれており、本名は不明である。「執嘉」「煓」といった名も伝わっているが、顔師古先生はそれらに懐疑的だ。 まあ、そこは「太公」と呼べばいいじゃない。

平楽観

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20130109/1357660105で紹介した、漢の成帝の寝室に出入りできた張放について。 (張)放為侍中中郎將、監平樂屯兵、置莫府、儀比將軍。 (『漢書』巻五十九、張放伝) 彼は平楽観の屯兵の監督を任されたという。

恵方巻き

恵方巻きの話題を見聞きするたびに、「X -ペケ- 」を思い出す。 恵方巻きの存在を知ったのはこの漫画でネタにされたのを見たからだ。もう15年以上前になるんじゃないだろうか。 その頃は全く初めて聞く風習だったし、関西ローカルなんだな、って思ってた…

竜か犬か

(孔)僖與崔篆孫(崔)駰復相友善、同遊太學、習春秋。因讀呉王夫差時事、僖廢書歎曰「若是、所謂畫龍不成反為狗者。」駰曰「然。昔孝武皇帝始為天子、年方十八、崇信聖道、師則先王、五六年輭、號勝文・景。及後恣己、忘其前之為善。」僖曰「書傳若此多矣…

道士に育てられた皇帝

靈思何皇后諱某、南陽宛人。家本屠者、以選入掖庭、長七尺一寸。生皇子辯、養於史道人家、號曰史侯。 【注】 道人謂道術之人也。獻帝春秋曰「靈帝數失子、不敢正名、養道人史子眇家、號曰史侯。」 (『後漢書』紀第十下、靈思何皇后紀) 後漢霊帝の後継者で…

衛士の人数

(建元元年)秋七月、詔曰「衛士轉置送迎二萬人、其省萬人。罷苑馬、以賜貧民。」 (『漢書』巻六、武帝紀) 漢代、皇帝の宮殿を守る「衛士」は当初2万人いたらしい。この時に半分に減らして1万人ということになる。 皇帝の手元にあって命令できる兵士が常…