2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧

刑法第三十七条第一項

太祖將北渡、臨濟河、先渡兵、獨與(許)褚及虎士百餘人留南岸斷後。超將歩騎萬餘人、來奔太祖軍、矢下如雨。褚白太祖、賊來多、今兵渡已盡、宜去、乃扶太祖上船。賊戰急、軍爭濟、船重欲沒。褚斬攀船者、左手舉馬鞍蔽太祖。船工為流矢所中死、褚右手並泝船…

無題

飲み会の後で疲れてるし眠い。帰り霧雨だったから何か濡れたし(性的な意味ではない)。 だから手を抜いていいよね。

平州の連続性

以前、こんな記事を書いた。 http://d.hatena.ne.jp/T_S/20101205/1291474909 三国時代の公孫氏政権は遼東方面に「平州」という新しい州を作っていたが、それが晋には取り入れられて公式化したようだ、と。

予告通り買った漫画

『今日のユイコさん』。 こっ、これはあざとい・・・(注:褒め言葉)! 一言で言うと「変態じゃない『謎の彼女X』」かな・・・?*1 ラブがコメる系が割と好きな人は読んでみよう。 *1:何か違うような気もする。

買った漫画

『グラゼニ』7巻。 出ていた。 今回は主人公凡田の先発転向や高校時代編。 凡田の後輩でベビーフェイスな感じの雪雄の高校時代がマジダルビッシュでちょっと衝撃的。

悪が来る

紂又用惡來。惡來善毀讒、諸侯以此益疏。 (『史記』巻三、殷本紀) 其玄孫曰中潏、在西戎、保西垂。生蜚廉。蜚廉生惡來。惡來有力、蜚廉善走、父子倶以材力事殷紂。周武王之伐紂、并殺惡來。 【注】 集解、晏子春秋曰「手裂虎兕。」 (『史記』巻五、秦本紀…

魏と推恩の令

陳留王諱奐、字景明、武帝孫、燕王宇子也。甘露三年、封安次縣常道郷公。 (『三国志』巻四、陳留王紀) 陳留王こと魏の元帝曹奐さんは、曹操の子である燕王曹宇の子である。 曹奐さんは安次県の常道郷を領地として「常道郷公」になったというが、安次県は『…

買うつもりの漫画

アフタヌーン掲載の『今日のユイコさん』って漫画。 ラブがコメる系。 何度か掲載時に読んでみて最初から読んでみたくなったので買おうかと思ってる。 なんとなく、『反町くんには彼女がいない』や『菫画報』的なものを少し感じた*1。 *1:『謎の彼女X』や『…

女尚書

會五月日食、(陳)蕃復説(竇)武曰「昔蕭望之困一石顯、近者李・杜諸公禍及妻子、況今石顯數十輩乎!蕃以八十之年、欲為將軍除害、今可且因日食、斥罷宦官、以塞天變。又趙夫人及女尚書、旦夕亂太后、急宜退絶。惟將軍慮焉。」 (『後漢書』列伝第五十九、…

親の因果か

妻妾盈後庭、又私取先帝才人七八人、及將吏・師工・鼓吹・良家子女三十三人、皆以為伎樂。詐作詔書、發才人五十七人送鄴臺、使先帝祜礱教習為伎。 (『三国志』巻九、曹爽伝) 魏の明帝死後、司馬懿と共に幼い皇帝曹芳を託された曹爽は、「先帝の才人」を我…

結論は無い

魏略曰、文帝收(曹)洪、時曹真在左右、請之曰「今誅洪、洪必以真為譖也。」帝曰「我自治之、卿何豫也?」 (『三国志』巻九、曹洪伝注引『魏略』) 魏の文帝曹丕が曹操時代からの重臣にして同じ曹氏一族の曹洪を賓客の違法行為を理由に捕縛した際、このよ…

曹操の出自に関する妄想

【1】 養子(曹)嵩嗣、官至太尉、莫能審其生出本末。 (『三国志』巻一、武帝紀) 【2】 評曰、夏侯・曹氏、世為婚姻、故惇・淵・仁・洪・休・尚・真等並以親舊肺腑、貴重于時、左右勳業、咸有效勞。 (『三国志』巻九、諸夏侯曹伝) 【3】 呉人作曹瞞傳…

ひとやすみ

昨日はイマイチ具合が良くなかった。 もしかすると、私は休日が多すぎると体調を崩してしまうのかもしれない。 金曜に用事があって一日休んだために四連休状態になっていたのだ。 というわけで、「ダークチェリー&ナタデココゼリー」をキメて早めに寝ること…

曹操の出自について

*1 (常)煒曰「天之所興、其致不同、狼烏紀于三王、麟龍表于漢魏。寡君應天馭暦、能無祥乎!且用兵殺伐、哲王盛典、湯武親行誅放、而仲尼美之。魏武養於宦官、莫知所出、衆不盈旅、遂能終成大功。暴胡酷亂、蒼生屠膾、寡君奮劍而誅除之、黎元獲濟、可謂功格…

メモ(廷尉平)

宣帝地節三年初置左右平、秩皆六百石。 (『漢書』巻十九上、百官公卿表上、廷尉) 廷尉評一人。漢宣帝地節三年、初置左右評。漢光武省右、猶云左評。 (『宋書』巻三十九、百官志上、廷尉) 漢代に置かれていた「廷尉平」という官職は、『宋書』では「廷尉…

姫君の殺人

千乘令劉慶忌為宗正、六月坐平都公主殺子貶為遼東太守。 (『漢書』巻十九下、百官公卿表下、鴻嘉元年) 産一男一女、女為平都公主、男為定陶恭王。 (『漢書』巻九十七下、外戚伝下、孝元傅昭儀) 前漢成帝の時、皇室劉氏の管理を担当する大臣の宗正劉慶忌…

曹参の末裔

子(曹)宗嗣、有罪、完為城旦。至哀帝時、乃封參玄孫之孫本始為平陽侯、二千戸、王莽時薨。子宏嗣、建武中先降河北、封平陽侯。至今八侯。 (『漢書』巻三十九、曹参伝) 十一世 侯曠嗣、今見。 (『漢書』巻十六、高恵高后文功臣表、平陽懿侯曹参) 漢の高…

霍光の末裔

建初七年、車駕西巡狩、以(韋)彪行太常從、數召入、問以三輔舊事、禮儀風俗。彪因建言「今西巡舊都、宜追録高祖・中宗功臣、襃顯先勳、紀其子孫。」帝納之。 行至長安、乃制詔京兆尹・右扶風求蕭何・霍光後。時光無苗裔、唯封何末孫熊為酇侯。建初二年已封…

昨日の訂正

*1列将軍は驃騎・車騎・衛将軍も含むから、前後左右将軍一択で RT @golden_hamster 前将軍とか左将軍とかのことは、原典主義で言えば前後左右将軍と呼ぶか、列将軍と呼ぶべき。これは典拠がある。「四方将軍」は典拠は無いはずだ。まあそれでいいならいいけ…

小ネタ

『漢書』百官公卿表下では「前将軍、後将軍、左将軍、右将軍」の総称を「列将軍」と呼んでいる。 「前後左右将軍」という総称が気に入らない人はどうぞ。

霍光の後継者

元始二年四月乙酉、侯陽以光從父昆弟之曾孫龍勒士伍紹封、三千戸、王莽篡位、絶。 (『漢書』卷十八、外戚恩沢侯表、博陸宣成侯霍光) 王莽は権力を握るとかつて皇帝の輔政という同じ立場にいた霍光の家を再興させた。 霍光の子が謀反の罪で一族もろとも誅滅…

列侯の御乱行

五鳳元年、侯建嗣、十二年、建始四年、坐尚陽邑公主與婢姦主旁、數醉罵主、免。 (『漢書』巻十七、景武昭宣元成功臣表、博成侯張章) 前にも取り上げたかもしれないが、何度見ても凄い字面なので取り上げる。 「陽邑公主(皇帝の娘)と結婚していたが、公主…

虎賁・羽林の待遇改定

八月庚子、詔減虎賁・羽林住寺不任事者半奉、勿與冬衣。 【注】 東觀記曰「以京師水旱疫病、帑藏空虚、虎賁・羽林不任事者住寺、減半奉。」據此、謂簡選疲弱不勝軍事者、留住寺也。 (『後漢書』紀第七、孝桓帝紀、延熹五年) 後漢桓帝の時、皇帝の近衛兵で…

大したことじゃあない

討狄侯杜勳 以前為軍假丞手斬郅支單于首侯、千戸。 (『漢書』巻十八、外戚恩沢侯表) 漢兵縱火、吏士争入、單于被創死。軍候假丞杜勳斬單于首、得漢使節二及谷吉等所齎帛書。 (『漢書』巻七十、陳湯伝) ほう、郅支単于の首を取った将校は王莽の時に列侯に…

宗正について(メモ)

置宗正官置、以序九族。 (『漢書』巻一下、高帝紀下) 漢の高祖は天下統一後に「宗正」の官を置いた。 宗正、秦官、掌親屬、有丞。 (『漢書』巻十九上、百官公卿表上) しかし宗正は秦からある官とされている。 秦代にはあった宗正は劉邦が漢王の時には置…

冢宰

天官冢宰惟王建國、辨方正位、體國經野、設官分職、以為民極、乃立天官冢宰、使帥其屬、而掌邦治、以佐王均邦國。 (『周礼』天官冢宰) 昨日の記事に出てきた「冢宰」とは何か。 『周礼』によれば、王が国を治めるのを助ける官の筆頭であり、「掌邦治」とい…

録尚書事

後漢において、「録尚書事」という地位があった。外戚の権力者などがその地位に就いていることが多く、何か権力をもたらす地位なのではないかとは考えられるが、イマイチどんな地位(職)なのか分かりにくい。 庚戌、皇太后詔曰、・・・(中略)・・・其以(…

棺を奪う理由

牽招字子經、安平觀津人也。年十餘歳、詣同縣樂隠受學。後隠為車騎將軍何苗長史、招隨卒業。値京都亂、苗・隱見害、招倶與隠門生史路等觸蹈鋒刃、共殯斂隱屍、送喪還歸。道遇寇鈔、路等皆悉散走。賊欲斫棺取釘、招垂涙請赦。賊義之、乃釋而去。由此顯名。 (…

弔問の使者

魏書曰、(劉)備聞曹公薨、遣掾韓冉奉書弔、并致賻贈之禮。文帝惡其因喪求好、敕荊州刺史斬冉,絶使命。 典略曰、備遣軍謀掾韓冉齎書弔、并貢錦布。冉稱疾、住上庸。上庸致其書、適會受終、有詔報答以引致之。備得報書、遂稱制。 (『三国志』巻三十二、先…

唐突に

そうだ久しぶりにカテゴリーを増やそう。 [孔丘先生]っていうのを。 これが孔丘先生メジャー化の第一歩とならないということはまだ誰も気づいてはいなかったのである・・・。